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「ガラスフュージングを始めたころ」

小林です。「ガラスフュージングを始めたころ」というテーマで、自分のブログに書いた記事を、3回分まとめてガラ研つぶやきブログに転載させていただきます。

フュージングインストラクターの養成講座を受講したのが、2008年。そこから数えると、来年が10年目ということになります。フュージングを始めたきっかけや、その頃のことを振り返って見たいと思います。
そもそも、なぜ、フュージングを選んだかの理由は、こうです。何かクラフトの関係で、作品を作ったり、教室を開いたりできるものはないかと考え、最初は、七宝の技法を取得できる講座などを探していました。七宝関係では老舗の京都の美装という会社を見つけ、七宝講座に申し込みしました。ところが美装のN氏から電話がかかってきました。
「現在、当社では、七宝の講座はやっていません。しかし、ガラスフュージングのインストラクター養成講座を開催していますので、受講してみませんか」との内容でした。
その時、初めて(ガラスフュージング)という言葉を聞いたのでした。
そのお電話で、単純にフュージングという言葉に興味を感じ、すぐに養成コースに申し込みました。
現在、東京で実施している、全10回程度の、短期集中コースです。


フュージングがどんなクラフトなのかも、よくわからないまま、やってみることにしました。もちろん、正式の受講申し込みの前には、美装で詳しい説明会があり、そこではある程度のことはわかりましたが。
養成講座は、グループレッスンでした。5,6にんの受講者がいるかと想像していましたが、この期は、私とあわせて3人の受講でした。講師は、S先生。このS先生の講座が私のフュージングの原点。七宝は、少し自己流で少しの経験はありましたが、ガラスのクラフトは初めて、オイルカッターでガラス板を切ることからスタートでしたが、すべてが新鮮でした。また、ながいこと、中学の教師をしていたので、人に教える立場で仕事をしてきましたが、一から手取り足取り教えていただく経験は、ある意味快感でした。
ガラスフュージングを始めた人はみんなそうだと思いますが、ガラスが電気炉で溶けること自体が、楽しくて仕方ありませんでした。また、ミルフィオリという模様の入ったきれいなベネチアのガラスを組み合わせて電気炉で溶かして、新しいものを作るのも楽しいものでした。

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バーナーで棒ガラスを溶かして、細く引っ張ったり、銀粘土とガラスを組み合わせて作ったり、時計を作ったり、楽しい講習は約3か月、あっという間に過ぎていきました。最後の創作パネルは、いろいろとプランを練っていきましたが、棒ガラスを短くカットしたものを縦にびっしり敷き詰めた作品になりました。そんなものがうまくフュージングできるかどうか、未熟な私の未熟なアイデアだったので、先生は、大変不安だったでしょうね。焼成は、スタッフのYさんがして下さったらしいのですが、朝から夕方まで時間をかけて焼いてくださったと聞きました。すみませんでした、ややこしい作品で。中年のおじさんにもなると、全く新しいクラフトを、一から学ぶ機会というものは、自分が一度白紙の状態にリセットできたような気持ちになり、楽しい時間でした。今から思い返すと、やはりおじさんの頭は固く、もっと真っ白な気持ちで受講すればよかったとは思います。
ガラスフュージングというクラフト技法は、固まった心を自由にする力があるように思います。
この、講習をスタートに、私のフュージングがスタートしました。
写真は最後の創作パネルです
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カトレアガラスクラフト研究会は、ベネチアンガラスを使用したガラスフュージングを行うインストラクターの研究会です。
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